今回は組版の根幹を担う、日本語書体の成り立ちについて、その歴史をひも解いていきます。

中国人がつくり、ヨーロッパ人が工業製品化

そもそも明朝体は日本人がつくったものではありません。「明朝」の文字からもあきらかなように、これは中国で生まれた書体です。もともとは木版印刷用書体としてつくられました。

木版印刷は、木材に手書きの版下=印刷用の原稿を裏表逆にして貼り、彫刻刀で凸刻し、スミをつけ、その上に紙をおいて、バレンで摺る印刷法のことです。学校の美術の時間にやった、版画を思い出してください。あれと同じ原理です。

木版印刷では一枚の木材にまとめて文字を彫ります。そのため金属活字版に対して整版あるいは一枚版とも言われます。そしてこの明朝体を、工業製品としての金属活字に採用したのは、じつは中国人ではなくヨーロッパ人でした。

なぜヨーロッパ人が!? それは彼らが中国でキリスト教を伝道するために、大量の漢訳聖書や布教用資料を印刷する必要があったからです。

ミニマルなエレメントと構成、明朝体の特徴

明朝体の特徴は、太い縦線と、細い横線、そして横線につけられた「ウロコ」と呼ばれる三角形。加えて毛筆楷書を水平垂直に構成し、点や曲線の形を定型化しています。

明朝体を金属活字に採用したのはヨーロッパ人だと言いましが、当然、彼らには毛筆を使って文字を書く習慣はありません。

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これは明朝体の漢字を構成するエレメントです。明朝体の漢字はほぼこの要素だけでつくられています。なにが言いたいのかといえば、つまり明朝体はエレメントの形と構成をおさえさえすれば、比較的容易にデザインできるということ。

もちろん、明朝体のデザインが簡単だということではありません。あくまで長い時間の修練と独特な美的感性が求められる毛筆楷書をデザインするのに比べて、ということです。

佐藤タイポグラフィ研究所代表の小宮山博史氏は、ヨーロッパ人が明朝体を金属活字用書体として採用したのは、明朝体のデザインが欧文の基本書体であるローマン体と近いことも関係しているが、非漢字圏の生活する人間が書体を工業化するのにデザインしやすい明朝体を採用したのでは、と推測されています。

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それは上海からやってきた

携帯電話やスマートフォン、ウェブサイトなど、ゴシック体が用いられる機会は日に日に増えていますが、それでもいまだに日本語の印刷・表示用の基本書体は明朝体です。

明朝体が中国人によって生み出され、ヨーロッパ人によって工業製品化された明朝体。ではどうして日本語の基本書体はその明朝体なのでしょうか。

1896年(明治2年)、日本に金属活字印刷を導入すべく、活字政策と活字印刷の習得に腐心していた長崎の元阿蘭陀通詞・本木昌造は、上海の美華書館から6代目館長ウィリアム・ギャンブルを招聘します。美華書館は当時上海市にあった、北米長老教会がつくった印刷・出版所です。

ギャンブルは1896年11月から翌年3月までの4ヶ月にわたって、その技術を講習しました。その成果が崎陽新塾活字製造所の発行した「崎陽新塾製造活字目録」で確認できます(崎陽新塾製造活字目録〔『新聞雑誌』第66号附録初秋〕、『日本語活字ものがたり―草創期の人と書体』より転載)。

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これが日本の近代印刷のはじまりです。そしてこのギャンブルによってもたらされた技術の複製・発展こそが明朝体の歴史であり、基本書体としての明朝体が確率していった過程でもあります。

けれど、日本語には漢字以外に仮名文字がなければなりません。じつは仮名文字も美華書館から伝わっていたのですが、それはごく少数のものでした。この仮名文字を、明朝体に合わせていかに創作していくか。そこには書体デザイナーの試行錯誤と、そして現在の日本語書体がベタ組として最適化されている理由があります。次回は明朝体の仮名文字についてみていきます。

なお、今回の記事のより詳しい内容は、小宮山博史さんの『日本語活字ものがたり―草創期の人と書体』(誠文堂新光社)に書かれています。ご興味のある方はぜひ手にしてみてください。