これまで日本語組版の考え方について、全角ベタ組をひとつのスタンダードとして考えてきました。それは現在の日本語書体、日本語組版が、全角ベタ組で組まれることに向けて最適化されてきたからです。

このプロジェクトの目標は、「読みやすさ」を日本語組版の視点からいま一度考え、組版におけるオルタナティブを模索することです。そのためにも、まずは日本語組版の基本でありまた到達点でもある、全角ベタ組を理解することが肝心です。

今回は日本語書体のうち、仮名文字についてみていきましょう。その過程は文字が正方形に最適化していく歴史でもあります。


仮名文字の源流「万葉仮名」

そもそも仮名文字とはどういう存在なのか、その成立のところからみていきましょう。

仮名とは漢字をもとにして作られた、日本独自の文字のことです。もともと日本は固有の文字というものをもっておらず、中国大陸から漢字が伝わることで文章を記すようになりました。

とはいっても、漢字で記されているのは中国の古典文である漢文です。当たり前の話ですが、中国語に基づいて記述されているわけですから、それをそのまま理解するには高い教養が必要になります。それを日本語として理解するために考え出されたのが「漢文訓読」です。

漢文訓読というのは、中国古典文を、漢文の文体はそのままに、返り点や送り仮名をつけることで日本語の語順で解読できるようにする方法。みなさん、中学・高校時代に漢文の授業で触れたことのある、アレです。

漢文訓読によって、随分と古典籍の理解が進み、また日本語文としての表現も発達するのですが、ひとつ問題ありました。それは日本語固有の言葉に、外来語である漢字をそのままあてはめても、その音を書き記すことができない、というものです。ではどうすればいいのか。当時の知識人が考えついたのは、漢字がもつ本来の意味はとりあえず無視して、その漢字のもつ音だけを取り出して日本語に宛てるという「借字」です。現代の「夜露死苦」的な当て字を想像してみるとわかりやすいですね(暴走族の当て字は意味性もありますが、基本原理は同じことです)。

この借字は「万葉仮名」とも呼ばれます。「万葉」は『万葉集』をひとつの頂点とするのでこう呼ばれるのですが、ともかく、この万葉仮名こそが現在の仮名文字の源流になるのです。

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[図1 万葉仮名『万葉仮名文書』(石川九楊編『書の宇宙〈12〉』pp.18-19、二玄社、1998年より)]


つづけて書くことの効用、連綿体

万葉仮名の起源について詳しいことは判明していませんが、遅くとも7世紀頃には成立していたと考えられています。

さて、ではこの万葉仮名からいかにして平仮名、片仮名が生まれたのか。

万葉仮名は楷書、もしくは行書で書かれていました。楷書も行書も、いずれも書道における代表的な書体です。

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[図2、3 欧陽詢「九成宮醴泉銘」、王羲之「蘭亭序」]

私は欧陽詢の「九成宮醴泉銘」がとても好きです。凛とした背筋を正させるような張りつめた雰囲気がありながらも、文字が内包する空間がその緊張感を緩和させ、気品のなかに親しみを感じさせます。楷書を完成させたと言われる欧陽詢ですから、その文字が長い時の重みに耐えて今日まで評価されることは当然といえば当然ですが、文字の造形がもつ奥深さには感動せざるを得ません。

ところが楷書、行書は字画が多く、速記には向きません。そこで字画を大幅に省略化するなど草書化する動きが発生します。その結果、平仮名が誕生しました。片仮名は万葉仮名の一部もしくは全部を用い、音を表す訓点や記号として生まれたとされます。

仮名文字の成立は発展の歴史には、「男手」「女手」など、スタイルの確立や相互の影響といった要素が複雑に絡まり合っています。それについてはここでは詳述しませんが(詳しく知りたい人は永原康史さんの『日本語のデザイン』を読むことをオススメします)、平仮名が成立してからの流れのなかで、外すことができないのが「連綿」です。

連綿とは「つづけ字」のことで、二文字以上が連続して書かれる仮名文字のことを意味します。平仮名はアルファベットと同じ「表音文字」ですから、意味を取るには読者が記された文字を文節に分ける必要があります。連綿として書かれることで、平仮名は意味の連なりを示し、読みを助ける効果が得られます。ここに、分かち書きの萌芽を読み取ることも可能でしょう。

実際、いかにして連綿が生じてきたのか、決定的な資料があるわけではありません。しかし表音文字である平仮名は、アルファベットと同様につづりが重要であり、それに対応するように連綿スタイルが生まれた、そう考えることはあながち間違っていないのではないでしょうか。

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[図4 伝紀貫之「高野切古今和歌集」(永原康史『[新デザインガイド]日本語のデザイン』p37、2002年より)]

日本文化のなかで育った人であれば、「高野切」の改行やバランス感覚を自然なものとして受け止めることが可能でしょう。けれど、これ、実際にはかなり特殊なことをやっています。

デジタル化されたインターフェイスを利用して文章を打つ場合、改行すると横書きなら左に、縦書きなら天側に、文字の位置はそろいます。しかし「高野切」では天にそろっているところもあるものの、3行目は少し下がり、さらに4行目は極端にさがっています。にもかかわらず、視覚的な調和が保たれ、むしろそれをここちよくさえ感じることができる。

仮名文字にしても、ひとつとして同じ形のものはありません。太さや濃さ、縦幅もまちまちです。行も垂直ではなく、微妙な傾きを孕み波打っています。

つまり、本来仮名文字とは、矩形から自由に、それこそ空間のなかを自由に踊るように、泳ぐように綴られていたのです。この伸びやかさ、空間におけるコンポジション、さらに連綿としてひとつづきに書かれることによって意味理解も促進できる。見方によってはすばらしく機能的であるとも言えるでしょう。


木版の伝統

こうした背景をもっている仮名文が、ではどうしていまの明朝体のように一文字ずつがわかれるようになったのでしょうか。そこには金属活字という工業製品としての規格の問題が存在しています。

明治の最初期に金属活字が導入されるまで、日本の印刷を支えていたのはおもに木版でした。木版というのは字の通り、木を材料に印刷面である版を形成し、得られた版木を用いて大量に印刷することです。木は金属と違って柔らかく、加工が容易です。そのため現在の活字のように一文字一文字を彫刻するのではなく、見開きごとに一枚の版面を作成して印刷、それらを製本することが可能でした。

日本で印刷が大きく発展するのは、徳川幕府による長期政権が続いた江戸時代のことです。江戸時代にはまだ明朝体は導入されていませんから、文字は筆書きが基本です。さらに江戸の庶民の娯楽性は高く、文字だけでなく絵がともに刷られた草双紙などが流行していました。つまり、普段自分たちが書いている文字と印刷された文字との間に大きな隔たりはなく、木材を用いているため連綿としての文字を再現することも容易で、さらに絵も含めた複雑な版面を一枚で構成可能だった、ということです。

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[図5 山東京伝『先開梅赤本』1793年(国立国会図書館デジタルコレクションより)]

図版を見れば一目瞭然、ここでは文字は正方形のユニットとしてではなく、つづけ字として書かれ、絵の余白にぎゅうぎゅうに押し込められています。これは1793年出版の本ですから、明治維新のおよそ70年前のもの。

しかし、木版は金属活字に比べると摩耗に弱いという特性があります。また版木を一枚一枚手彫りすることは大変な労力であり、版木の複製にも時間がかります。その点、金属活字を用いた活版印刷は、活字さえそろっていれば版面の形成に複雑な技術は必要ありません。版面の複製も容易に行えます。木で作られた木活字も存在しましたが、やはり複製の難しさや耐久性から考えても、金属活字に比べ大量印刷に向きません。

ヨーロッパでは産業革命以降、人と物の流れがかつてない勢いで発達しました。社会を行き交う情報も加速し、その量も爆発的に増加します。インターネットなどない時代ですから、情報はおもに印刷物によって伝播されました。グーテンベルクによる金属活字の実用化は15世紀半ばのことですが、活版印刷が普及していたことも、産業革命を推し進めた要因だと言えるでしょう。

明治維新による政権交代と開国によって、日本にも西洋化の波が押し寄せます。開国時に結んだ不平等条約の撤廃、富国強兵の実現を実現するためにも、近代社会の象徴である活版印刷の導入は不可欠でした。


四角のなかに押し込めること

さて、本木昌造(1824-75 長崎の人。幕末に阿蘭陀通詞として活躍)によって導入された金属活字ですが、その基本単位は正方形です。漢字と正方形の親和性が高かったことは前回の記事で触れた通りですが、問題となるのは仮名文字です。そもそも正方形という枠組みで書かれることを想定していない上に、筆書きは明朝体とは異なります。仮名文字をどうやって正方形というシステムに合わせるていくのか。これが現在につづく書体デザイナーの大きな課題となりました。

それがどれほど大変なことだったか。書体デザイナーであり日本語書体の研究者でもある小宮山博史さんは、その著書で次のように述べています。

「漢字活字を眺める本木たちにとって、いままで平仮名を正方形の中に一字ずつ書くという発想も経験もなかったでしょう。平仮名は常に連続して書かれる連綿体であり、組わ合わせる文字、運筆の速度によって字形は変化しどれひとつとして同じものはないのです。」(『日本語活字ものがたり』誠文堂新光社、2009年)

日本における書体開発の歴史は正方形というシステムに仮名文字を最適化していく歴史でもあったということです。現在私たちが使っている書体は、明治以来150年という短いながらも苦闘に満ちた、文字の改良、改刻の歴史の上に成立しているのです。そうやって考えると、いま私たちが日常的に目にしている印刷書体のデザインが、また違った姿に見えてこないでしょうか。

日本では、いまでこそ書体デザイナーは社会的注目を集めるようになりましたが、金属活字の頃はそうではありませんでした。あくまで無名の人として、ただ文字をつくり続けてきた。それが歴史的な研究が困難な理由のひとつでもあるのですが、ともかくそうして日本語書体は改良を加えられてきたのです。

今日の仮名文字書体は、名も無き職人たちが支えたその技術の結晶として成立している。150年にわたる検証、研鑽を経ているわけです。そこに歴史に根ざした造形的な強さ、たしかさがあることは事実でしょう。なぜなら、いまもって日本語書体のほとんどは、正方形のなかにデザインされているからです。

日本語の仮名文字本来の姿を取り戻すのなら、たしかに正方形にとらわれない文字が必要かもしれません。先頃リリースされた仮名書体「こうぜい」は、古筆に材をとった、じつに挑戦的なものでしたし、今後こうぜいのような書体が増えることが期待されますが、正方形には正方形の良さがあります。

無名の人々が完成させた、ある意味究極にアノニマスな文字デザインが日本語リテラシーの根幹を担っている。そのことに少なからず感動を覚えるのです。

長くなりましたが、今回はここまで。次回の更新では、ベタ組を尊重しつつも、それがかならずしも実現できない現実にどうのように対処すべきかについて書く予定です。