<前回からの振り返り>
「美女観照道場」を開かせていただいてから、
前回はお二人の入門生と美女観照を実践しました。

美女観照によって自分の中の自分を楽しむこと、
「外(美女)」を見る作業のようで実は「うち(自分)」を見るという流儀を、
3人の対象を見ていく中で実際に体感していただきました。
読者の皆様にとってはどんな実践になりましたか?

<実践 美女観照 第2回>
第3回の今回は、集団的美女をテーマに観照したいと思います。

普段のご経験のなかで、女性がカフェなどで複数人一緒に楽しそうにしている姿を
可愛らしく思われたことはあるでしょうか。
個々を観察すると、特に際立って目を引くような方が居なくても
集団で見ると何となく、良いなという気持ちになることはありませんか。

美女/集団、というと、私がとっさに思いつくのは、
AKB48などの女性アイドルグループや、
blog7_01.png

http://ts1.mm.bing.net/th?id=HN.608032421359192538&pid=1.9&w=300&h=300&p=0
http://ts1.mm.bing.net/th?id=HN.608049158839863532&w=192&h=150&c=7&rs=1&pid=1.7
http://ts4.mm.bing.net/th?id=HN.608002111767580140&w=212&h=141&c=7&rs=1&pid=1.7
http://ts4.mm.bing.net/th?id=HN.608019472019950972&w=109&h=149&c=7&rs=1&pid=1.7

ヴィクトリアシークレット(アメリカの下着ブランド)のエンジェルなどです。
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www.alt-ana.com

直観的に美しいなと感じられましたでしょうか。

よくよく上の2集団を観照していただくと
『美女が集まった状態』、と言うよりも
『美女かもしれない人が集まった状態』 に見えて来ませんか。

上の2つの文章は、同じようでいて全く違う話になります。
みなさんにも観照を通して、その違いを体感して頂きたいので
まず入門生のお2人に集団的美女を観照してもらおうと思います。

まず、親しみやすい同じ人種を対象にしてもらいたいと思いますので
対象は選ぶに事欠きませんが、知名度からAKB48というグループで始めたいと思います。

<集団的美女その1  AKB48>
師範  今日もよろしくお願いします。

師範  まず集団的美女を私が選んだ理由などは後で説明することにして、
    お2人はこの対象を観照する、となるとどのような見方をしていかれますか?
    まずは個人個人ではなく、1つの集団を対象としてみてください。
    どんな魅力を感じますか。
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http://desuki90.files.wordpress.com/2011/02/akb48_singapore_official_image_online.jpg
  私は前回対象に挙げた、優香さん・村上さんに似た
    生命力を感じ、その生命力が美しいと感じます。
  
 H   ひとりひとりの距離感がないためか、「群れ」の感じがします。
    ひとりひとりは派手な感じがします。美しさはあまり感じません。没個性的に見
    せて面白い個性を出す、したたかな存在感を感じます。
    大人子供?

 A  解像度が高い合成写真として、人工性と量的なインパクトが強いです。
    そのため、人間の集団という感じをあまり受けません。
    生身の人間以上に、過剰なぐらいキラキラ輝いていると同時に、
    得体のしれないプレッシャーを感じます。
    衣装や髪型、メイクだけでなく、顔立ち、表情、ポーズにも
    パターンが少ないせいかもしれません。
    
師範  次に集団の要素となる1人1人を観照なさってください。
    1人1人見ると、私は誰からも美しいという要素を感じなくなってしまいます。
    お2人はいかがでしょう。

T   ひとりひとり、すごい自己主張を感じます。やっぱり美女ではなく、
    したたかな面白さを感じます。

A   「美女」ではないかもしれませんが、顔のパーツの個性なども
    ポジティブに受け止められるといいますか、
    型にはまっているが故に、それぞれの個性が愛嬌として出ていると感じられます。
    ただ、それらは並列なもので、突出して印象に残る人はいないです。

師範  対象を『集団』とする事で、また違った視点を持ってしていただけると考えました。
    結構否定的な意見が多いのに驚きました。

師範  前回、ゲシュタルト崩壊(形が全体的ではなく部分的に壊れて見える)が
起きた後の視覚の組み立て直しについてAさんがコメントされていましたが、
    今回はいかがでしょう。
    前回とは別の意味でのゲシュタルト崩壊が起きられましたか?
A    前回は顔面という単位に関して、全体像がつかみにくくなる
    感覚になったのですが、今回はそうではなかったです。
    これだけ多人数の集団だと、差異だけを見比べるようになりますね。

<集団的美女その2 ヴィクトリアシークレットエンジェル>
師範  次は少し人種を変えた集団的美女を観照して頂きたいと思います。
    blog7_04.png
    http://amog.com/wp-content/uploads/2012/01/Victorias-Secret-Angels.jpg
師範  この対象はいかがでしょうか。
    実は、私個人的にはその1、その2ともほぼ同じ感覚を受けるのです。
    その2には数人個別に観照しても美しさを感じる人がいるものの
    全体に見たときに感じた生命力の美しさが、
    個別に見たときにほとんど感じられないという
    落差にその1でもその2でも、大差がないのです。

H   ひとりひとりも、全体でみても没個性的に見えます。美しくも感じないですね。
   「美しさは、孤独と関係する、ひとりと関係する」ようにも勝手に思いました。
    でもパワーはもらいます。自分の中にも「分人」と言われるように、
    いろんな人間がいるわけですから、その分人が1つになるととてつもないパワーがあるなと感じますね。

    もちろんこの意見には様々反論があると思います。
    人種が違うとわからないとか、年収差を考えたりすれば、
    明らかに後者の人たちの方が観賞される対象としてのレベルが高いはずなどです。
    正直、「観照」をしていなければ、私もそのように思います。

A   その1ほどではないですが、質量的な過剰性、人工性(作為性)が
    一番に感じられるという点では2つとも同じ印象です。
    私の場合は、生命力を感じるというよりは、それをプレッシャーとして
    受け止めてしまうようです。数の暴力に気を取られてしまいます。
    それと私はアジア系の顔立ちから差異を読み取ることには慣れているのですが、
    欧米的な彫りの深い顔立ちにはやはり慣れていないようで、
    鼻梁が高い顔が並ぶと、余計に型にはまって見えるようです。
    観照を味わうレベルに到達することが、難しかったです。

<ふたたび、個人の美女観照>

師範  じゃ、最後に、集団ではなく、私が美女と思う1人の女性を紹介したい
    と思います。集団の女性を見たあとなので、美女観照の意味が新鮮に
    わかるかもしれません。

師範  こちらの女性を観照してみて下さい。
    blog7_05.png
   http://en.wikipedia.org/wiki/Christy_Turlington
  いかがでしょうか。

T   しなやかなシカのような野生的な美しさを感じますね。
    師範が集団に対していわれた「生命力」を
    個人がセンスよく持っている感じがします。

    顔だけじゃなくて、動きや表情などがみれると、
    もっと私たちが学ぶ要素があると思います。
    野生、知性、センスの調和を表現できる今の人ですね。
    この美しさを、年をとってもどうキープするか、たいへんだと思います(笑)。
    日々の生き方に関する彼女の考えも聞きたいですね。名言集はない?

A   生命力があり、かつ慎ましい美しさを感じ、魅力的だと思いました。
    Hさんと同じく、お顔だけで、彼女の背景や考え方を知りたくなりました。
    群像を見た後に見てみると、この方はこの瞬間、どんな風景に居るのだろう、
    誰に対してこの表情をしているのだろう、という想像が広がります。

師範  私はこの方を観照するほど、この方の奥に感じる切なさ、 
    哀しみに加えて暖かさと強さを感じます。
    実際はとても華やかなスーパーモデルの1時代を築いた方なのですが
    現役時代から華やかさよりも、哀しみと強さに惹かれていました。
  
   今お二人ともそれぞれに集団を見たあとに個人の美女を見て
   いただいた事によって、同じ反応を見せてくださいました。

   集団では暴力的にさえ感じてしまった美女が、個人という形になることで、
   より分解的に観照することが出来て、さらに観照の先に自分自身に返る部分を
   見つけられたように思いますがいかがでしょう。

   人間は集団のなかで生きますが、それが個になったとき、美女は精神的な
   オーラをだします。そのオーラを鑑賞者は共感することによって、自分もまた
   同じオーラを発する個になりたいと思うのかもしれませんね。オーラの伝播。
   美女観照は、個(美女)によって個(鑑賞者)自身の感性・感度を磨き、
   物事を相対的に考えるカギをくれる可能性が出てきましたね。
 
お読みいただいている皆様もお2人と同じように
実際にじっくり観照されてみて、いかがでしたでしょうか。
ご自身の価値観に客観的に発見があったのではと思います。

次回はより観照の対象を深掘りしていただき
またその様子を皆さんに共有していきたいと思います。

また次回の更新まで、ご意見ご感想をお待ちしております! 
参加ご希望いただける方は、師範まで。
Bijyo.amu@gmail.comまでご連絡ください!!