2011年、amuで「Open Publishing @amu」というメディアづくりのセッションが始まりました。そのなかから誕生したのが、NEXT TO NORMALというプロジェクトです。

NEXT TO NORMALでは、「Open Publishing @amu」の呼びかけ人、仲俣暁生さん(フリー編集者)、津田広志(編集者、フィルムアート社)、吉田知哉・村田純一(編集者、ビー・エヌ・エヌ新社)とともに、長田年伸さん(デザイナー、編集者)、Tomoko Noharaさん(マーケティングプランナー、美女観照家)、大山景子さん(編集者)、太田尚宏さん(映像作家、STUDIO Ultramarine代表)という、職業も背景も異なるプロジェクトリーダー4名が、ウェブサイトとamuの場を活用してプロジェクトに取り組んできました。

 NEXT TO NORMAL これからの「普通」を考え、つくる
 http://n-t-n.jp/

本記事ではその締めくくりにあたり、呼びかけ人4名と、Next to Normal「失われた場所で音を紡ぐ」リーダーの太田さんの言葉を掲載いたします。

長田さん、Noharaさん、大山さんの記事に関しては、こちらからご覧ください。

長田年伸 【たのしい組版】明日の日本語組版のために「読みにくさ」を科学する
http://n-t-n.jp/category-01/011.html

Tomoko Nohara 美女観照道場最終回~日常に美女観照を~ トークゲスト:けいとさんをお迎えして
http://n-t-n.jp/category-02/011.html

大山景子 第2回、第3回 記憶の寝床を編む
http://n-t-n.jp/category-04/002.html

自己再生メディアの誕生
――ふつう1からふつう2へ

津田広志(フィルムアート社)



ことの経過

2011年に立ち上がった「Open Publishing @amu」。大震災の3.11の翌月に開催されたこの会は、満員御礼で始まった。実に、多業種の人が集まった。デザイナー、編集者、プログラマー、工場経営者、図書館員、印刷所員、こうした人たちが力を合わせてパブリシングするとは? 

しかし、ことのほかむずかしい。なぜなら既存の段取りを一切はずし、ゆくえを定めず、流れに任せたからだ。段取り力とフィードバックが現代人に求められる能力とすると、この会は、「即興性」を重視した。「即興」から生まれる面白さを期待した。

その「のたり」感がよくでたか、悪くでたかはわからない。異種の人から、いろんなカミングアウトもありながら、その思いの中心は「Next to Normal」という形で集結した。これからのノーマライゼーション=「普通とはなにか」。普通の象徴である中間層が喪失しつつある、震災以後の日本において意味深長なテーマだ。

またこの会に参加した多くの人が離職した。ある人は別の仕事に、ある人は起業し、ある人は海外へ飛び立った。なにか転換期に必要なものがこの会にあったのか。それは未来の可能性の思考を考える、「ゆるゆる」感があったからではないか。

「ゆるゆる」がいいとは思わない。しかし、考える幅が広いという意味では、人間の成熟には必要な場だったのだろう。

「Next to Normal」の誕生

2013年、ノーマライゼーションを考えるための「メディア」をつくるプロジェクトサイトがたちあがった。その名は、「Next to Normal」。以下のプロジェクトが走り出した。

「読みやすさの科学」(長田年伸:リーダー)
「美女観照」(Tomoko Nohaha:リーダー)
「やわらかな哲学カフェ」(大山景子:リーダー)

この3つの中に通底するのが「これからのふつう」だった。

この3つの記事を読むと、あたりさわりのないテーマにみえるが、狙いは面白い。
「読みやすさの科学」の本当の狙いは、可読問題ではなく、差別問題である。
「美女観照」は、美ではなく、マイノリティ問題である。
「やわらかな哲学カフェ」は、話しあいではなく、セラピー問題である。

この読み替えを、リーダーたちが自覚的にしていたかはわからない。「読みやすさの科学」が目指すものは、デザインの標準化の奥にある「生きやすさ」があった。「美女観照」の目指すものは、息抜きの楽しさ以上に、美醜を超えた「マイノリティの美しさ」のあり方だった。「やわらかな哲学カフェ」は、話し合いながらも、セラピーするような「寛容」を探していた。

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ふつう1からふつう2へ

ただ、なんとなく生きる人を「ふつう1」と呼ぶとする。これはこれでよい。それに対して「ふつう2」がある。これは、反省的な視線をいれながら「ふつうを自覚的にふるまう」人、「ふつう2」である。たとえば、伝統、習慣、常識に無自覚なのではなく、「ふつうをふつうとして意識的に生きる」人である。

今回、このプロジェクトに集合した人は、あきらかに「ふつう2」である。どこかに深い挫折体験をもち、反省的視線を入れながら、自身の再生をかけて日常を生きようとする人「ふつう2」だと思う。自己再生をするために思考し「自分を取り戻そうとする」人といってもよい。

「ふつう1」と「ふつう2」は表層的には同じように見えるが、深層では違う。
その象徴が、「やわらかな哲学カフェ」のリーダー、大山景子さんだろう。震災現場へ向かう途中で、交通事故にあい、臨死状況を経ながら、再生していこうとした大山さん。彼女の「やわらかな哲学カフェ」は、「やわらかい」という言葉とは裏腹に必死な再生の思いがあったように思う。それがカフェ全体の通奏低音として響いていた。
また、当初、プロジェクトに「失われた場所で音を紡ぐ」というプロジェクト名で参加しながら、中断してしまったリーダーの一人、太田尚宏さん。被災地での音の復興をキャッチアップしようとした太田さんは、対象の大きさと沈黙に圧倒されながらも、誠実に彼自身の再生をかけた「ふつう2」の人だったと思う。

自己再生メディアは可能か

メディアが、自分再生機能を果たす、セラピー的な要素を孕む状態が起きた。しかし通常セラピーは、ある方法にもとづいて、セラピストが中心にあり、安全な秘密保持の場で行なわれるもの。しかしここでは違う。セラピストはいない。中心はない。秘密も保持されない。情報はメディアなので外へもれていく。なになに手法というものもなく、ただ表現していくことによって自己を再生させていく。それをみんなただ見守っている。

「自己再生メディア」の誕生といえるのではないか。
自分探しではなく、深い崩壊や喪失の中から、自分をとりもどし「ふつうをより自覚的に」生きる人たちの誕生の場であったのではないか。それは震災以降の私たち1人ひとりが、震災と違う場と次元で、地続きに震災とリンク(共振)している証拠ではないかと思う。

体験の客観視ができるか

しかし、このプロジェクトに工夫や課題は残る。
唐突だが、心理カウンセラーの心屋仁之助(こころやじんのすけ)のブログ(「心が風になる」)は参考になる(笑)。テレビでおなじみの彼のコラム。これも「自己再生メディア」ではないか。彼ほど自分自身の弱点や悪クセを見切った人もめずらしいと思う。自分の弱点を見切れないと他人の心なんか読めない。フォロアーが8万人近くいるのもうなずける。

http://ameblo.jp/kokoro-ya/

心屋さんは、まず心理療法士などの資格はまったくもっていない。専門家ではなく「素の人」である。佐川急便で上司として鬼のように働き、家族がこわれていったという。彼も崩壊から再生した自覚的な「ふつう2」である。彼の文体は、

一字一句手を抜かない、リアリティ(かつ専門用語は使わない)
自分を徹底的に相対化するユーモア(かわいらしさ?)。

自分を突き放した文体は、見事である。心屋さんは、自分の体験をわざと「物語」(いい話)にしない。ただクールに見続け、客観化し、それをセラピーに応用しているだけだ。

心屋さんがしたような「体験の客観化」能力をつけるシステム構築が今後、必要だと思う。「ふつう2」がつくる「知」とは、専門知ではない。批評家のようにうまくもない。ただ、自分の体験したことを、物語にしたり告白するのではなく、客観視し、たんたんと述べたとき、そこにこれからの「ふつうの知」が生まれる可能性がある。

今回のリーダーたちは、「ローン・リーダー型(ひとりでおこなう人)」から「カフェ型(集団)」までいろんな形態があった。あとは、リーダーの「体験の客観化」を促すシステム構築が必要であったと痛感する。そこが抜けていると、心屋さんのようなコンテンツには近づけない。また、私自身も、素の言葉で、自分の体験を客観的に語る訓練の必要を強く感じた。

これからのメディアネットワーク

「ふつうの知」は、あえていえば「凡庸なもの」かもしれない。しかしその凡庸さこそ、実は日常の中では大切な糧なのだ。今だれが、新奇なコンセプトがほしいだろう? 誰が新しいモードがほしいだろう? むしろ昔から現代まで言われている埋もれた価値を体験に基づいて語るほうが、実は迫力がある。

そして繰り返そう。世の中に「ふつう1」と「ふつう2」がいる。後者は自分の体験の客観的に見つめ、物語や告白を拒否し、ストレートに「ふつうの知」をつくる人たちである。これからの時代、こうした人々が分散的に各地に存在し、中心に強いリーダーは存在せず、仮設的に場をつくる。

中心のない、分散的で、自己物語を拒否した人々のメディアネットワーク。
「知性」でもなく、「反知性」でもなく、「ふつうの知」を繰りだし、世界に伝えられていく時代の到来の予兆をしめしたこのプロジェクトは4年間でいったん幕を閉じる。課題は多く残したが、40年後はどんな世界になっているか、楽しみである。





Open Publishing @ amu のふたしかな航路

仲俣暁生(フリー編集者)



既存メディアに限界を感じた人たち

DIY(Do it yourself)ならぬD.I.W.O(Do it with others)という言葉に魅せられて、このプロジェクトに「呼びかけ人」という立場で参加することにしたのは、まだ東日本大震災の衝撃がさめやらぬ2011年の春のことだった。ウェブサイトであらためて確認してみると、日付は5月20日となっている。

初回のテーマは文字どおり「これからのメディアをD.I.W.O.でつくろう。」だった。おそらくこの時期は、だれもが一人でいることに耐えられない気持ちでいたのだろう。既存のメディアに不満や限界を感じつつも、一人でそれを突破するのではなく仲間がほしい。せめてそのことを話し合う相手がほしい。そんなヒリヒリする感覚は初回のイベントに参加したときの私自身にもあった。

最初の頃、参加者におけるメディア(広義の「パブリッシング」)にかかわっている人と、そうでない人との割合は半々くらいだった。いまでも記憶に残っているが、これまでメディアの仕事をしてきた(あるいは、いまもしている)人ほど、現在のそのありかたに懐疑的で、震災を機に自分の仕事の足元を見直そうとしていた。逆に、メディアの受け手にすぎなかった参加者は、自分たちがこんどは送り手として関わることで、いままでにない何かができるはずだという、肯定的で前向きな人が多かったように思う。

そのすれ違いは、いま思えば貴重なことだったのではないか。このプロジェクトがその後4年にわたり続いたのも、両者が対等かつ率直に、意見を交わす場だったからだ。

他者との即興的な協働の場づくり

D.I.W.O(Do it with others)、つまり「他者との協業」はあくまでも方法論にすぎず、その手法で何を行うのかというテーマづけは、はじめのうち曖昧なままだった。「第一期」と称した最初の1年目を終えた2012年3月のイベントで、「Next to Normal〜普通ってなに?」というテーマが浮上したことで、Open Publishing @ amu はようやく次のフェーズを迎えた。

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だが私自身の関心は、この新たなテーマが震災後の時代にもつアクチュアリティよりも、当初からの「他者との協業」という方法論のほうにあった。実際、既存のさまざまなメディア(本、放送、映画、音楽、その他のライブパフォーマンス)のどれとも違うものが、発案者とコラボレーター、そしてイベント参加者との即興的な関係性のなかで、不安定ながらも毎回かたちになっていくさまをみるのが面白かった。

大震災後の日本社会で、既存メディアへの根底的な問い返しが当然のように生まれるなかで、私がいちばん危惧していたのは、あまりに単純化された「メディア批判」に巻き込まれることだった。あるいはその逆に、新しいメディアテクノロジーにこのプロジェクト全体が安易にのりかかってしまうことだった。しかし、それはまったく杞憂にすぎなかった。このプロジェクトでなされていることを「メディア」や「パブリッシング」という言葉で表現することが、果たしてふさわしいかどうかという問い自体が、私のなかでは途中から完全になくなった。

どこへ向かっていくのかわからない、おぼつかなさのなかで毎回のイベントがはじまり、観客やそのときどきのゲストといった、まぎれもない「他者 others」の手助けによって、それまで一度も訪れたことのない「港」にたどり着く、ということの繰り返しだった。つぎの出港時には、またおぼつかない気持ちになるのだが、不思議なことに、つぎの「港」はやはり存在するのだった。

この4年にわたるプロジェクトは、そうやってどこかに向けて進んでいった。長く、ふたしかな旅を終えて、このプロジェクトはまもなく解散するが、D.I.W.O(Do it with others)という最初に決めたシンプルなルールは、最後まで守られ続けたと思う。この4年間、Open Publishing @ amu という冒険に参加してくださった方すべてに感謝したい。

また、どこかでお会いしましょう。


※本記事は「NEXT TO NORMAL総括②」に続きます。